山中秀行は、翌日に国定徹の第3回目の公判を控えていた。
やるべきことは十全にしていたが、なにせ好材料は皆無に等しかった。
先日、刑事の萩原慎太郎から渡された高山彦三郎のメモも、残念ながら何かの役に立つとは思われなかった。
仕事を終えた山中は、帰宅途中、家の近くにあるおいしいと評判のケーキ屋に入った。
山中はそこで加代と待ち合わせていた。
その日は、亜沙子の誕生日だった。
山中が店に着くと、加代がカウンターで何かをしていた。
「加代、何してるんだい?」
「あ、お父さん、お帰りなさい。お店の人がね、手書きのメッセージを書いてくださいって」
加代はチョコレートのプレートにペンのような、中からホワイトチョコレートが出てくるもので文字を書いていた。
「おお~、なかなかうまいじゃないか」
「そうでしょ?・・・こうやってね」
加代は英語で“HAPPY”と“BIRTHDAY”を2段に書き、その下の左隅に“to”と書いた。
そして、最後に亜沙子の名前を書き始めた。
「・・・あ、あ~入らなくなっちゃった・・・どうしよ」
「どれどれ・・・」
山中が覗き込むと、“to”の隣に、カタカナで『アーチ』と書かれており、その右にはもうチョコのプレートはなかった。
「アーチになっちゃった・・・どうしよ」
「まあ、かわいくていいよ・・・そこにさ、その下に小さく『ャン』って書いておけばいいよ」
「大丈夫かな~、あーちゃん、怒らないかな?」
「大丈夫だよ、あーちゃんは怒らないよ。笑って許してくれるよ、アーチャンがアーチになったってさ・・・?・・・アーチ・・・」
山中の中で、何かが閃いた。
「そうか、そうだったのか・・・」
山中は人目もはばからず呻き声をあげた。
「何?お父さん、大丈夫?」
山中が普段は見せないような表情でうなっているので、加代は不安そうに尋ねた。
「うん、大丈夫だ。ちょっと電話してくるから、お金払っておいてくれ」
山中は加代に財布を渡すと、店を出て携帯を取り出した。
掛けた相手は萩原慎太郎だった。
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